第7回 最大比合成(Maximal Ratio Combining: MRC)ダイバーシチ受信のSNRの累積確率分布の測定値と理論値の比較 ~実験的検討に挑戦!どこのメーカも具体的に示していない無線LAN製品におけるダイバーシチ受信の性能状況 その7~

ビジネス推進本部 応用技術部
エンタープライズSDNチーム
松戸 孝

本コラムは、どこのメーカも具体的に示していない無線LANアクセスポイント製品のダイバーシチ受信の性能状況を試行錯誤して実験的に検討した挑戦記の第7回です。安定して快適な無線LAN通信を実現するためには、無線LAN通信の親局である無線LANアクセスポイント(以下APと記載します)や子局である無線LANクライアント端末(以下CLと記載します)の受信装置系において、受信電力と雑音電力の比であるSN比(以下SNRと記載します)の劣化を引き起こすマルチパスフェージングへの対策が必要になります。本コラムのこれまでの連載の中で、IEEE802.11n規約時代以降の無線LAN製品に採用された「最大比合成(Maximal Ratio Combining: MRC)ダイバーシチ受信」が、マルチパスフェージング対策として効果的であることを実験的に明らかにしてきました。前回の第6回では、受信アンテナ数の違いによる無線LANのAP製品の最大比合成ダイバーシチ受信の性能状況も実験的に明らかにしました。実験結果からは、受信アンテナ数が多いほど、マルチパスフェージングによるSNRの劣化を小さくできていると理解できました。つまり、最大比合成ダイバーシチ受信は、受信アンテナ数が増加すると性能が良くなっていることを実験による測定で確認できました。しかしながら、実験の測定結果では、受信アンテナ数が2本から4本へ増加したときのSNRの増加が小さいようにも思えました。
今回の第7回では、受信アンテナ数の違いによる最大比合成ダイバーシチ受信の性能について、理論値と本実験の測定結果の比較に挑戦していきます。

連載インデックス

(1)最大比合成ダイバーシチ受信のSNRの累積確率分布の理論値

本実験では、送信部と受信部の見通しは確保されているので、受信部で受信される電波の変動(フェージング)は、送信部からの定常的な直接波と周辺の様々な物体からの反射波や散乱波が合成された変動(マルチパスフェージング)になります(ごちゃまぜ、テキトーな乱雑状態の変動とも言えましょう)。図1は、送信部がAP、受信部がCLの場合の概念図です。この受信電波の変動は、仲上-ライスフェージングと呼ばれています[1]。なお、「仲上」 は日本の研究者の姓であり、「ライス(Rice)」は米国の研究者の姓です。

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   図1. 仲上-ライスフェージング環境の概念図(送信部がAP、受信部がCLの場合)

そして仲上-ライスフェージング環境において、反射波や散乱波が複数の受信アンテナ毎に無相関に変動することを仮定できる場合には、高度な数学を駆使することによって、最大比合成ダイバーシチ受信におけるSNRの累積確率分布の理論式が導かれ、理論値が計算可能となります。なお、上述の仮定は、本実験環境のような屋内の事務所のフロア環境においては、一般的に期待できる状況といえます。本コラムの試行錯誤の検討では、電気通信大学大学院の唐沢好男教授によって導かれた理論式を参照しています。理論式の詳細は高度な数学の表現になるので、関連記事に記載した参考文献[1]や[2]に頼るとして、その概念は、次のとおりです。
最大比合成ダイバーシチ受信のSNRの累積確率分布の理論式は、最大比合成ダイバーシチで受信したSNRとその際の受信アンテナ数という2つの変数によって表現される関数です。そして仲上-ライスフェージング環境が仮定されているので、直接波のSNR、及び、反射波や散乱波の平均SNRが定数としてその理論式内に、うまく取り込まれています。

(2)理論値と測定値の比較:
   受信アンテナ数の違いによる最大比合成ダイバーシチ受信のSNRの累積確率分布

図2は、測定結果である本コラムの第6回の図2に理論値を追加記載した最大比合成ダイバーシチ受信のSNRの累積確率分布です。理論値は、まず、受信アンテナ数が1本の測定値に、受信アンテナ数が1本の理論値が概ね適合するように理論式の中に存在する直接波のSNRの値、及び、反射波や散乱波の平均SNRの値を変化させて決定することによって計算しています。図2の場合には、直接波のSNR(Γdと記載します)はΓd=40.8dB、直接波のSNRと反射波や散乱波の平均SNRとの比(Kと記載します)はK=10.2dBに決定しました。この受信アンテナ数が1本の場合の測定値と理論値をうまく対応させるという試行錯誤によって、理論式が一般論を表現した数式にとどまるのではなく、現実の本実験環境の特徴を反映した生きた理論式、つまり、仮想の本実験環境に進化しています。そして、続いて、現実の本実験環境の特徴を反映した生きた理論式(仮想の本実験環境)において、受信アンテナ数を2、3、及び4本の場合に変化させて理論値を計算して測定結果の図に追加記載しました。

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   図2. SNRの累積確率分布の測定値(×、+、◇、及び◆の各印)と理論値(実線)の比較:
   1本のアンテナを用いた受信部で測定した場合と、2本から4本のアンテナを用いた最大比
   合成(MRC)ダイバーシチが動作する受信部で測定した場合。測定値の累積確率100%=SNRの
   データ総数489個のとき。

図2からは、次のことがわかります。
理論値では、受信アンテナ数が多いほど、マルチパスフェージングによるSNRの劣化を明らかに小さくできると理解できます。受信アンテナ数が2本の場合、測定値と理論値は概ね一致しています。しかしながら、受信アンテナ数が3本の場合は、例えば、累積確率1%のSNRに着目したダイバーシチ利得は、測定値が理論値より約2dB小さい状況です。また、受信アンテナ数が4本の場合は、同ダイバーシチ利得は、測定値が理論値より約3dB 小さい状況です。
⇒理論値は、現実の本実験環境の特徴を反映した生きた理論式(仮想の本実験環境)から計算されています。その理論値と測定値の比較結果を見ると、受信アンテナ数が3本または4本のときは、測定値において、もっとダイバーシチ利得が大きくても良いのではないだろうかと思えます。受信アンテナ数が3本または4本のときに測定値のダイバーシチ利得の増加が小さくて飽和状態のようにも思える明確な理由は不明ですが、例えば、次のような状況も推測できます。

(推測)
本実験における測定方法では、理論値が教えてくれている現実の状況を表現しきれない限界があるかもしれません。本実験の測定では、受信アンテナ数を変化させて測定する際には、異なる受信アンテナ数毎に、別の測定実験として実施しています。受信アンテナ数を変化させる場合、本実験で利活用したAP製品の仕様では、この測定方法になります。
一方、もしも、例えば受信アンテナ数が4本のときの測定実験において同時に測定されている受信アンテナ数が3、2、及び1本の場合の測定データを各々分離して取り出すことができてSNRの累積確率分布を比較できるならば、理論値により近い測定結果になっていると推測します。

まとめ

受信アンテナ数の違いによる無線LANのAP製品の最大比合成ダイバーシチ受信の性能状況をSNRの累積確率分布を用いて、理論値と本実験の測定値において比較しました。理論値では、受信アンテナ数が多いほど、マルチパスフェージングによるSNRの劣化を明らかに小さくできると理解できました。受信アンテナ数が2本の場合、SNRの累積確率分布の測定値と理論値は概ね一致していますが、受信アンテナ数が3本または4本のときは、測定値のダイバーシチ利得は、理論値のそれより小さい状況でした。この状況の明確な理由は不明ですが、推測できること(本実験における測定方法では表現しきれない限界がある可能性)を述べました。

試行錯誤の実験的検討の挑戦記として7回に渡って連載しました本コラムも今回で一区切りの最終回となります。どこのメーカも具体的に示していない無線LANのAP製品のダイバーシチ受信の性能状況について、専用の測定機器ではないけれど市販の無線LANのAP製品でも、それなりに興味深い測定ができること、SNRの劣化を引き起こすマルチパスフェージング対策として最大比合成ダイバーシチ受信が有用なこと、そして、安定して快適な無線LAN通信を実現するためには、アンテナ数が多いAP製品を選択することが得策であることを、ご理解いただければ幸いです。
本コラムの連載を最終回までお読みくださって、大変にありがとうございました。

関連記事

[1]唐沢好男、”改訂 ディジタル移動通信の電波伝搬基礎 “、コロナ社、2016年3月3日、ISBN 978-4-339-00883-8
[2]松戸孝、宇都宮光之、田中政満、中野清隆、丸田竜一、力石靖、山下聖太郎、”シスコシステムズ社製無線LANアクセスポイントCAP3602Eの最大比合成( Maximal Ratio Combining:MRC)ダイバーシチ受信性能の実験的検討 -より信頼性の向上した無線LAN の実現を目指して”(第1回 シスコテクノロジー論文コンテスト最優秀賞受賞論文 ネットワンシステムズ社員執筆記事)
https://www.netone.co.jp/report/press.html
https://www.netone.co.jp/wp-content/uploads/2012/04/matsudo_et_al1.pdf
http://www.cisco.com/web/JP/partners/ronbun/1st/index.html#2

執筆者プロフィール

松戸 孝
ネットワンシステムズ株式会社 ビジネス推進本部 ビジネス推進本部 応用技術部
エンタープライズSDNチーム所属
無線LANの製品担当SEとして製品や技術の調査、検証評価、技術者の育成、及び、提案や導入を支援する業務に従事
・第一級無線技術士
・第1回 シスコ テクノロジー論文コンテスト 最優秀賞
・第2回 シスコ テクノロジー論文コンテスト 特別賞
・第3回 シスコ 論文コンテスト 特別功労賞

イベント/レポート

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