第1回 無線LAN電波の現実 ~実験的検討に挑戦!どこのメーカも具体的に示していない無線LAN製品におけるダイバーシチ受信の性能状況 その1~

ビジネス推進本部 第1応用技術部
スイッチワイヤレスチーム
松戸 孝

無線LANは、免許不要の無線局として誰でも自由に使えることから(また、電波利用料もなし)、その利活用は法人向け、家庭向け、公衆向け等として急速に拡大しています。この無線LAN市場の拡大に先行するように、無線LAN製品を開発・製造する各メーカもお互いに切磋琢磨して、各々の製品の高性能化にむけて創意工夫をしています。
このような状況の中で、無線LANアクセスポイントの受信能力を高めるための機能であるダイバーシチ受信については、各製品に実装されているのにもかかわらず、どこのメーカも具体的に性能状況を示していないことに、筆者は気が付いてしまいました。
そこで、筆者は、どこのメーカも具体的に示していない無線LANアクセスポイント製品のダイバーシチ受信の性能状況を実験的に検討することに挑戦しました。本コラムの連載は、試行錯誤の実験的検討の挑戦記です。この連載では、シスコシステムズ社製の無線LANアクセスポイント製品を中心にして無線LANアクセスポイントのダイバーシチ受信(選択ダイバーシチ受信、及び最大比合成(Maximal Ratio Combining: MRC)ダイバーシチ受信)の性能状況を実験的に明らかにしていきます。

連載インデックス

(1)送信性能より受信性能が大切

無線LAN通信は、親局である無線LANアクセスポイント(以下APと記載します)と子局である無線LANクライアント端末(以下CLと記載します)間における電波による交信によって成立します。交信はAPが送信してCLで受信する下り回線の通信と、CLが送信してAPで受信する上り回線の通信によって構成されます。APとCLは各々、電波の送信装置系と受信装置系を具備していますが、安定して快適な無線LAN通信を実現するためには、どちらかというと、送信性能より受信性能が大切です。その理由の1つめは、聞こえない(受信できない)相手方とは、そもそも通信が不可能だからです。2つめの理由は、送信する前には、誰かの通信を妨害しないことを必ず受信確認する必要があるからです。無線LANは免許不要の無線局としてその利用者の皆で限られた周波数帯を共用する通信システムですから、特に2つめの理由は、とても重要です。
人と人の会話(音波による交信)でも、「自分が話す(送信)ことよりも、相手の話をまずは良く聞く(受信)ことが大切だ」と言われていることと似ています。

 

(2)受信性能の理想は、SN比(SNR)が大でその変動が小

そして、無線LAN通信の受信性能の理想も、基本は次の2つになります。1つめは、受信電力(Sとも記載します)が、雑音電力(Nとも記載します)より大きい、つまり、受信電力÷雑音電力=S÷N=SN比(以下SNRと記載します)が大きいことです。受信電力とは、通信したい情報を伝送している電波のエネルギーのことです。一方、雑音電力とは、APやCLの周辺に存在する様々な電子機器等が外部へ放射する不必要な電波や、APやCLの内部で発生する不必要な高周波信号等の、通信には不必要な電波(雑音電波)のエネルギーのことです。SNRが小さいと、通信したい情報を伝送している電波が雑音電波で乱されやすくなり、無線LAN通信が不確実で反応が悪い状況になってしまい、最悪の場合に通信断もありえます。安定して快適な無線LAN通信を実現するための一般的なSNRの目安は、PC等によるデータ通信の場合は20dB以上(これは、受信電力が雑音電力よりも、100倍以上大きいという意味です)であり、リアルタイム性の強い通信(例えば、音声通信)の場合は25dB以上(これは、受信電力が雑音電力よりも、約316倍以上大きいという意味です)です。
人と人の会話(音波による交信)でも、例えば、電車が通るときのガード下では、その騒音によって相手の声がとても聞き取り難い状況になりますが、これは、耳に届いた相手の声の大きさと騒音の比が小さいからです。
尚、dBとは、2つの電力の比を、特別な計算で変換して表現したときにつける単位ですが、無線LAN製品や技術を取り扱う上では、とても役立つ単位です。本コラムの連載のどこかの回で、このdBという単位や下記項目(4)で登場するdBmという単位について、極力、わかりやすくなるような解説に挑戦する予定です。
無線LAN通信の受信性能の理想の2つめは、SNRの変動が小さくて、極力一定であることです。SNRの変動が大きいと、安定して快適な無線LAN通信を実現するための一般的なSNRの目安を下回る状況が発生したり、また、APやCLの受信装置系での制御も不安定になりやすくなり、やはり、無線LAN通信が不確実で反応が悪い状況になってしまい、最悪の場合に通信断もあり得ます。

 

(3)受信性能の理想を打ち砕く無線LAN電波の現実

安定して快適な無線LAN通信を実現するために、無線LAN通信の受信性能の理想を追求したいところです。しかしながら、APやCLが直面する無線LAN電波の現実は、過酷な状況です。無線LANの利活用が生産性の向上に多いに貢献できる屋内の事務所のフロア環境の場合、一般的に雑音電力は小さめであり、その変動も小さい状況です。一方、受信電力には変動が伴うことが通常の状況です。それゆえ、受信電力と雑音電力の比であるSNRも変動することが通常の状況です。
受信電力に変動が伴う理由は、APとCL間で電波が伝わるときに、直接波に複数の異なる経路(マルチパス)を伝わった反射波が重なることによって、電波の振幅(強さ)や位相(時間的なズレ)が変動(フェージング)状態となり、その変動状態の電波をAPやCLで受信する状況になるからです。屋内の事務所のフロア環境の場合、反射波は、天井面、床面、壁面、什器等で反射した電波ですが、APとCL間を最短の距離で伝わる直接波に比べて長い経路を伝わるので、直接波に比べて時間的に微妙に遅れて伝わります。異なる経路を伝わってきた複数の反射波は、微妙な時間的な遅れも様々な状態になって直接波と重なるので、その重なった電波は複雑な変動の状態、即ち、マルチパスフェージングの状態になります。
従って、APとCL間における電波の伝わる環境の時間的変化や、CLの利用位置や移動による空間的変化に伴い、マルチパスフェージングはより顕著になります。マルチパスフェージングの状態においては、受信電力が大きく変動した場合に、それがSNRを低下させてしまい、無線LAN通信が不確実で反応が悪い状況になってしまい、最悪の場合に通信断もあり得ます。

 

(4)実験で確認した無線LAN電波の現実

図1は、屋内の事務所のフロア環境における実験によって測定されたマルチパスフェージングの状況、つまり、実験で確認した無線LAN電波の現実です。送信部のAP(送信アンテナは1本、水平面内無指向性)は、5GHz 帯無線LAN のチャネル番号60(中心周波数 5,300MHz)のIEEE802.11a規約の電波でビーコン(APとの通信に必要になる様々な基本情報)を 20ミリ秒間隔で連続的に送信しています。図1は、送信部のAPから11.7m離れた距離における受信部(APを電波は送信しない受信専用装置として動作、受信アンテナは1本、水平面内無指向性)で測定した受信電力、雑音電力、及びSNRです。受信部は台車の上に載せてあり、測定開始から約5秒間において台車は静止状態、つまり受信部は静止状態です。そして、その静止状態に続いて、人がその台車を(つまり受信部を)概ね一定の速度でゆっくりと水平移動させています(約5秒間かけて約1mの移動、移動方向は送信部と受信部を結ぶ軸線に直角方向)。

 

無題118
     図1. 受信アンテナ数1本の受信部で測定した受信電力、雑音電力、及び、SNR

 

図1からは、次のことがわかります。

① 台車が静止状態、つまり受信部が静止状態のときは、受信電力は一定です(-51dBmの大きさ)。
⇒受信部が静止状態の約5秒間においては、送信部と受信部間における電波の伝わる環境の時間的な変化は、未発生だったと理解できます。

 

② 台車がゆっくり移動して、つまり受信部の位置も移動すると、その位置変化に伴い、受信電力は変動しています。
⇒受信部の移動による空間的変化に伴い、マルチパスフェージングが発生していると理解できます。受信部が約1mの距離を移動する間に、受信電力の変動幅は最大12dB(これは受信電力の最大値が最小値の約16倍に増加、または、同最小値が最大値の約1/16に減少という意味です)に達しています。図1の横軸の0から約1mの間の目盛間隔は約0.2mであり(筆者の開いた手の親指と小指の間の距離に概ね相当)、その距離の位置変化の中でも、受信電力の変動幅は、少なくとも6dB程度(これは受信電力の最大値が最小値の約6倍に増加、または、同最小値が最大値の約1/6に減少という意味です)に達しています。
受信部の位置が変化すると、直接波と複数の反射波の重なり具合が複雑に変化するので、受信電力が、受信部の静止状態のときより、大きくなったり、反対に小さくなったり、複雑に変動していると理解できます。
受信部がゆっくり移動を開始した後の概ね最初の目盛(約0.2m)の位置における受信電力は、図1に表示された範囲の中では最小値の-58dBmですが、これは静止状態での受信電力である-51dBmから7dBの低下(これは受信電力が約1/5に低下という意味です)になります。

 

③ 雑音電力は、台車が静止状態でも、ゆっくり移動時でも、平均的には小さい一定値であり(約-95dBmの大きさ)、その平均値の上側と下側に各々概ね数dB程度の一定の変動幅をもった不規則な変動になっています。
⇒雑音電力には、マルチパスフェージングは、未発生であると理解できます。なお、雑音電力の平均値-95dBmは、屋内の事務所のフロア環境としては小さい値なので、無線LAN通信には望ましい状況です。
雑音電力は不規則な変動の中で、まれに一瞬上昇していますが、その値は-90dBmであり、屋内の事務所のフロア環境としては小さい値なので無線LAN通信には問題ありません。

 

④ 受信電力と雑音電力の比であるSNRは、雑音電力が平均的には小さい一定値なので、受信電力の変動と概ね同様な変動になっています。
⇒台車が静止状態、つまり受信部が静止状態のときは、SNRは平均的には一定です(約44dBの大きさ、これは、受信電力が雑音電力よりも、約25000倍大きいという意味です。無線LAN通信には望ましい状況です)。
そして、台車がゆっくり移動して、つまり受信部の位置も移動すると、その移動による空間的変化に伴い、受信電力にマルチパスフェージングが発生するために、SNRが、受信部の静止状態のときより、大きくなったり、反対に小さくなったり、複雑に変動していると理解できます。受信部が約1mの距離を移動する間に、SNRの変動幅は最大21dB(これはSNRの最大値が最小値の約126倍に増加、または、同最小値が最大値の約1/126に減少という意味です)に達しています。
尚、SNRの変動には受信電力のマルチパスフェージングによる変動に加えて雑音電力の変動も重畳していますが、上記項目③で述べたように雑音電力は一定の変動幅に収まっているので、SNRの変動は、受信電力の変動と概ね同様になっていると理解できます。
受信部がゆっくり移動を開始した後の概ね最初の目盛(約0.2m)の位置におけるSNRは35dBですが、これは静止状態でのSNRの平均値である約44dBから9dBの低下(これはSNRが約1/8に低下という意味です)になります。この図1の実験では、SNRが低下しても35dB以上なので無線LAN通信としては問題ありません。しかしながら、例えば、PC等のデータ通信を運用する1つのAPのサービスエリアの端では、APからの距離が大きくなって受信電力が低下して、SNRが20dB程度になっているときに、マルチパスフェージングによって、例えば、SNRが9dB低下したら、SNRが11dBになり、無線LAN通信が不確実で反応が悪い状況になってしまい、最悪の場合に通信断もありえます。それゆえ、安定して快適な無線LAN通信を実現するためには、SNRは大きく、かつ、その変動は小さくすることが望まれます。

 

(5)実験での測定諸元の概要等

●(5-1)送信部
① AP(1台):自律型 Cisco AP1240AG
② アンテナ(1本):Cisco ANT5135D-Rダイポール(APのPrimary Port-Right接続)
③ アンテナコネクタ中心の床面からの高さ:0.72m

 

●(5-2)受信部
① AP(電波は送信しない受信専用装置として動作、1台):集中制御型 LAP1242AG
② アンテナ(1本):Cisco ANT2524DW-R Dual-bandダイポール(APのPrimary Port-Right接続)
③ アンテナコネクタ中心の床面からの高さ:1.04m

 

尚、実験方法の詳細については、下記項目の関連記事の第2章に記載のとおりです。

 

まとめ

安定して快適な無線LAN通信を実現するためには、APやCLにおける受信性能として、SNRが大きいこと、また、その変動が小さくて、極力一定であることが理想です。しかしながら、屋内の事務所のフロア環境におけるAPやCLが直面する無線LAN電波の現実は、空間的に電波の強い所や弱い所の濃淡とも言える状況、即ちマルチパスフェージングの状況が、あたり前に発生していて、SNRを大きく変動させていることを実験結果としても確認できました。
次回は、無線LAN通信の受信性能の理想を追求するための技の1つとして、APやCLの受信装置系に具備されているマルチパスフェージング対策の技である「選択ダイバーシチ受信」について、その性能状況を実験的に明らかにしていきます。

 

関連記事

・松戸孝、宇都宮光之、田中政満、中野清隆、丸田竜一、力石靖、山下聖太郎、”シスコシステムズ社製無線LANアクセスポイントCAP3602Eの最大比合成( Maximal Ratio Combining:MRC)ダイバーシチ受信性能の実験的検討 -より信頼性の向上した無線LAN の実現を目指して”(第1回 シスコテクノロジー論文コンテスト最優秀賞受賞論文 ネットワンシステムズ社員執筆記事)
https://www.netone.co.jp/report/press.html
https://www.netone.co.jp/wp-content/uploads/2012/04/matsudo_et_al1.pdf
http://www.cisco.com/web/JP/partners/ronbun/1st/index.html#2

執筆者プロフィール

松戸 孝
ネットワンシステムズ株式会社 ビジネス推進本部 第1応用技術部 スイッチワイヤレスチーム
所属
無線LANの製品担当SEとして製品や技術の調査、検証評価、技術者の育成、及び、提案や導入を支援する業務に従事
・第一級無線技術士
・第1回 シスコ テクノロジー論文コンテスト 最優秀賞
・第2回 シスコ テクノロジー論文コンテスト 特別賞
・第3回 シスコ 論文コンテスト 特別功労賞

イベント/レポート

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